この二年間何をしていたのかを書いていきます

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この二年間何をしていたのかを書いていきます

この二年間何をしていたのかを書いていきます

 やっと、これが書けます。

 これから、また歩き出していけます。

 その前に、書きたいと思ってました。

 ただ、書き出してとんでもなく長い文章になってしまったので、何回かに分けていきます。

 だいたいが暗い話聞いていて気持ちのいい話ではないので、先に謝っておきます。

 まず、長い間引きこもっていた事を謝ります。

 心配してくれていたのに、逃げていました。

 酒に逃げる事も多くありました。

 そんな自分が嫌で情けなくて恥ずかしくて、また引きこもってました。

『いったい何があったの?』

 そう聞いてくれる友達が、自分にはたくさんいました。

 だいたい知ってもらってる通り、僕は猫たちと暮らしています。

 やどを始めた時から、その始まりから、『とばり』と言う女の子と一緒に成長してきました。

 2013年の7月でした。

 その後も、猫たちは増えていきました。

 ええかっこしいの自分は『縁』ができたと思うと、ほっとく事ができなかったんです。

 その後数年は、お客さんにも恵まれ、みんなも可愛がってもらって、本当に幸せな日々が続いてました。

 でも、『生命』とは限りがあるんですよね。

 そんな事は分かってるつもりでした。

 最初は、『むさし』って子が腎臓病だと分かった事でした。

 2018年の11月の事でした。

 それからの闘病生活、むさしが望んでいたかは分からないけど僕は少しでもむさしと一緒にいたかったんです。

 むさしも頑張ってくれました。

 一年くらい頑張ったむさし、いっときは治ったかの様にふっくらむさしが戻ってきた時期もありました。

 そんな時に、僕にとって最愛の、世界で一番大切な、なにものにも代えがたい宝物の様なとばりを、事故で亡くしました

 201911月になった日の事でした。

 あれからもうすぐ三年。

『いつまで引きずってんね?』

 よく言われます。

 違う、って言えないですよ、忘れてはいないですから。

 でも、それからもたくさんの事があり続けました。

 大きい事も、小さな事も。

 誰でも生きてたら何かしらあるわ、って言われたらそうなんですけどね。

 やどの事もコロナなどで振り回され、プライベートでも大波小波があったり。

 でも自分にとって大きな事は、猫たちの事、自分の子供と思い暮らしている子達の事なんです。

 とばりが亡くなって一月ほど経った12月、1階の物陰から毛長の子猫を見つけました。

 今は立派に二歳のライオンくんに成長した、『ちはや』です。

 その半月後に、夜ごはんを持って行っていた外猫たちの所に、具合悪そうな子猫がいました。

 病院に連れて生き、手術をして成功したのですが、ちっちゃくて可愛くて強い『おまめ』は、そのまま帰ってこれませんでした。

 むさしはそれから少しずつ少しずつ、命を削って自分や兄弟たちと一緒にいてくれ、2020年の4月、1年半もの闘病を終えて、楽に自由になりました

 でも、むさしのがんばりは僕たちに、勇気を置いて行ってくれたんです。

 むさしは強かった

 そのひと月ほど経った6月、夜ごはんの外猫のひとりが体調を崩して動けなくなっていたので夜間救急に連れていき、むさしと同じ腎臓病が発覚、その日から家に連れて帰り闘病生活が始まりました。

 名前は『こま』、外で暮らしていたのでナワバリ意識でしょうね、他のみんなとの折り合いが悪く、長い期間ケンカを止める為隔離しての闘病生活でした。

 その分、みんなのストレスが高まります。

 一年半前のむさしの闘病生活が始まってから特に出てきたんですが、家の中至る所にマーキングをされるんです。

 廊下の壁やカーテン、玄関ドア、本棚や洗面所とか、むさしがトイレ間に合わず区クッションや布団でオシッコした事も。

 そうそう自転車やミシン台なんて拭き取るのがとても面倒なもの、台所のフライパン立てとかも!

 ベッド下の予備の布団とか、これは圧縮袋に入れてたのでまだマシでしたけどね。

 そうそうトイレや玄関の土間にオシッコされてたり、朝起きてドア開けたらマーキングを踏んでしまうとかもありました。

 それ以前も少しはあったのが、やっぱりむさしの事だけにかかりっきりで他の子達をおざなりにしていたんです。

 そして粗相をされた僕は怒ってしまい、それに対してみんながまたストレスを。

 そんな悪い連鎖を繰り返していたんです。

 みんなからの無言の抵抗なのに。

 寝不足もありましたね、闘病の最初の頃は1,2時間おきに薬や点滴、強制給餌、そんなのが続き不安もありました。

 そんなストレスを他の子にぶつけてしまっていたんです。

 最低な人間、ってやつです。

 それからも、波は小さくなったり大きくなったり、でもクセづいたマーキングやオシッコは無くなりませんでした

 これでも長文でしたね。

 何を言ってるか分からないと思いますが、自分のケジメとして、向かい合わなくてはいけないと思うから、続けて書いていきます。

 よろしくお願いします。

令和4820

有本 雅紀