令和元年 糸満大綱引き 紹介編

令和元年 糸満大綱引き 紹介編

令和元年 糸満大綱引き 紹介編

 沖縄には今に伝わるたくさんの素晴らしい文化があります。
 中でも600年もの歴史を持つ糸満では、旧暦の8月15日に行われる大事な祭りがあります。
 歴史と言う縦の糸と、地域に暮らす人の繋がりの横の糸が交わるこの土地には、
 現代の世が失くしつつあるものが、確かにあります・・・

『令和元年 糸満大綱引き 紹介編(5:35秒)』



 旧暦の8月15日に当たるこの日は沖縄各地で『大綱引き』が開催されます。
 その昔、五穀豊穣、大漁祈願、家内安全、無病息災などを願い吉兆を占う神事として始められたとの事です。
 その為、各地での祭りとしてこの時期に執り行われ、ここ糸満でも・・・

糸満大綱引きのスゴイ点

 糸満大綱引きは沖縄三大大綱引きにも数えられていますが、ギネスブックにまで乗った最大の綱は那覇の方なんです。
 でも糸満の人たちの誇りは『全て人の手で作り上げる』事なんです。
 最初は稲藁をよって細い綱、それを三本束ねて中位の綱、これを何週間か前に各村や各区の人たちが日曜日に協力して作っておきます。
 そして当日の朝から、会場に運んだ綱を何十本も束ねて、長さ180m直径1.5m重さ10tもの大綱にまで仕上げます!
 本当は南北二本に分けて作った大綱を、夕方の開始直前に連結させて『カヌチ棒』と言う白銀堂に祀られている棒で抜けないようにして180mになるんです。
 その連結作業も見ものですよ!!


糸満人の心の拠り所『白銀堂』

 その『白銀堂』糸満の氏神様で、夏前の『糸満ハーレー』の時もここが始まりと終わりに奉納をされる大事な場所なのです。
 まだ琉球の頃、薩摩武士と糸満の海人達との交流により永らえた昔話が、縁起物語として伝えられています。
 『意地ぬ出じらぁ手引き 手ぬ出じらぁ意地引き』
 諸説ありますが糸満人の心の一端に触れられると思います♪


600年以上も続く歴史ある糸満

 僕自身、沖縄の歴史は引越しをしてから知りだしたので詳しくはないのですが、その知識だけでも糸満は長い歴史を持つ町だと知りました。
 琉球国としての統一は15世紀前半、それ以前の沖縄本島は三山時代として争っていたらしいです。
 北山(北部)、中山(中部)、南山(南部)、その中の南山王のエリアであったここ糸満、文献は少ないながらもその頃から海人(漁師)の町として知られていたようです。
 お祭りとしての『大綱引き』や『糸満ハーレー』の資料としてはもう少し時代を下ってから現れますが、町としては600年もの歴史を持っているんです。
 教科書で習う時代区分としては『室町時代』、昔すぎて頭が追いつきません!(笑)
 そんな昔から男は海へ出て魚を獲っていたのですが、海から帰ってくる時の目印にしていたのがここ『山巓毛(サンティンモウ)』。
 この小高い丘が灯台の代わりとして海人達の帰りを待っていたんです。
 今では南山最後の王『他魯毎(タルマイ)』の墓があり、糸満の子孫たちを見守ってくれているようです。


知る人ぞ知る沖縄の屋台!!!

 綱引き本番は夕方から始まるのですが、それに先立ってお昼から『道ジュネー』と呼ばれるパレードがあるんです。
 だから早めに行ったのですが・・・
 早すぎてほとんど人がいなかった!(笑)
 だから沖縄独特の屋台で昼飲みしちゃいました!!(笑)
 沖縄の屋台、最初見たときはびっくりしたのですが、まず屋台テントがとても大きくて、一つの屋台でなんでも売ってるんです!
 焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、唐揚げ、わたあめかき氷・・・まるで屋台のデパート!!(笑)
 おまけに売り子の女の子がかわいかったら調子に乗っちゃいますよね♪(笑)


糸満大綱引きの華『旗頭』

 糸満ロータリーから白銀堂まで散歩をして帰ってくると『道ジュネー』が始まりました!
 最初は糸満中学吹奏楽部で、現代音楽やダンスもあるのですが、ちびっ子エイサーやおばぁ達の踊り、棒術なんかの演武や『チョンダラー』って白塗りして大ノコギリを持った怖い人たち(東北のなまはげみたいに子供達を怖がらせる道化役)なんかの沖縄の伝統芸能がたくさん見れます。
 そして個人的に一番のオススメどころが『旗頭』!!
 の紹介はまた次回!!!(笑)



伝統文化がたくさん残る、糸満の見所はこちら!




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夕陽1 – バージョン 3

 

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